Monday, November 21, 2016

NYでいちばん美味しいラーメン


先日、NYでいちばん美味しいラーメンを食べた。

というか、行ってみた店のラーメンが、今までに食べたどのラーメンよりも美味しかった。

お店は、アストリアにあるShuya Cafe de Ramen。新しく出来たすこぶる評判の良い店ということで、ラーメン通であるアーティストの友人Nと行った。

店内は、名前の通り、東京のおしゃれなカフェという感じ。内装もいたってシンプルで、ラーメン屋というよりは、北欧風のリビングルームみたい。平日の午後だったからか、客は一人もいない。日本人の店員さんが、すてきな笑顔で丁寧に接客してくれた。

基本のShuya Ramenに、季節のおにぎりが付くセットをふたつ注文。

大きな海苔につつまれた松茸のおにぎりが、かわいらしい一点もののお皿に乗って登場。堂々としていて、これだけで絵になる。心を込めて作られた感じがする。両手で持つと、これぞおにぎりという気がして頼もしい。一口ほおばってみる。米粒がしっかりしていて美味。ラーメンのお供におにぎりって、意外とよさそうだなあ。

ほどなくして運ばれて来たラーメンを見て、あっと思った。

ふつうのラーメンと、違う!

まず、全体のたたずまいが、美しい。器も具も個性的なのだが、収まるところに収まっているというか、絶妙にバランスの取れた佇まいをしている。スープは、はまぐりと鶏。コクがあるのにあっさりとしているので、うっかり全部飲んでしまえる。ちぢれ麺は、ごつごつとした存在感があり、コシが感じられるゆで具合も完璧。はまぐり、半熟卵、チャーシュー、もやし、海苔は、それぞれ独立しているが、お互いの味を邪魔しないで引きたてあっている。特に炭火でこんがりと焼かれたチャーシューは、いかにもハイライト。香ばしいのにとろけるようで、食べてしまうのが全く惜しい気がした。卵の味付けが少し違うのも楽しい意外性を付け加えていた。

人工的な調味料の一切入っていない、素材の良さを生かした素直な味つけ。具の数も麺の量もちょうど良い。

ひとつひとつ形の違う手作りの器に盛られているのが象徴的であるが、どこを取っても既製品の匂いがしない。こだわり考え抜いたことが伝わってくる味とプレゼンテーション。見たところ職人さん(Shuyaさん?)一人きりで作っているようなのでそれも頷ける。それにしてもその見事な仕事ぶりには目を見張るものがあった。

私もNも、冥想をするようにラーメンと対峙。

「このラーメンには、」
スープを飲みながら、感に堪えず、私は言った。
「物語があるね。」

じっさい、口に入れるとそれぞれの具材が感覚に語りかけて来るようで、会話をしているようだった。そういう想像力を刺激するものがあった。これはたぶん、作り手の選択と決断によるものだと思う。

何かすごいものに出会うとき、頭の中がスパークし、まるで遠くへ旅をして戻ってきたような遙かな心持ちになることがある。クイーンズの小さなラーメン屋でそれが起こったのだった。私は感服した。

ついでに、デザートの抹茶プリンも頼んだ。こんなラーメンを出す店だ。美味しくないわけがない。果たしてこれも期待通り、オリジナルな味とプレゼンに、さらりとして軽やかな、確かな美味しさだった。上に白玉がひとつ乗っていたのだが、今ゆでたばかりの柔らかな暖かさに脱帽。4ドルのデザートに乗るたったひとつの白玉にも手を抜かない。

すごい。

店を出てから、Nは言った。

「思想を食べた気がする。」

まさしくそうなのだ。私たちが食べたのは、あのラーメンを作った人の思想だった。食べるという行為ひとつも、思想を伝え、受け取る体験になり得る。それは作り手と受け手の作品に対する意識の高さが決める。これはどんな分野でも同じだろう。

「極めないとだな。」

何かを作ろうとする時、自分はだませないからね。限りなくシンプルに、ピュアになっていく過程。そしてそこに残ったものを見つめて、受け入れる。それが作品になり、作品は生き様になる。しんどいが、見る人にはちゃんと伝わるように出来ているのだと思う。

意義深い食事でした。


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