Thursday, June 28, 2012

海に行く


長い間会わずにいた友達と、久しぶりにお茶を飲んだ。約一年間の離れていた時間がうそだったかのように、あれやこれやを話しながら楽しいときを過ごした。ワシントンスクエアパークの暮れていく噴水の水を見ながら、海に行こうよ、と彼女は言った。

海か〜いいね!いこういこう!

と、軽く約束した私。

その二日後は、暑すぎず肌寒くもなく、よく晴れたさわやかな日だった。うん、これなら気持ちよく潮風に吹かれることができそうだ。さっそく「今日いく?」と、彼女のケータイにテクストした。ところが予想に反して彼女からは、こんな答えが返ってきた。

今日はダメ、来週!すごく暑くなる予報だから!

頭をひねる私。続いて二通目のテクストが入った。

ビキニ!バスタオル!

そして私は悟った。私と彼女の「海」の捉え方の違いを。。。


さして遊びにいかない私の頭の中→ 海=眺めるもの

レジャー大好きな彼女の頭の中→ 海=泳ぐもの


ビキニ、持ってません。。。。。。


しかしそのような私の事情にはほぼ関係なく、その約束は決行された。先週の水曜日と木曜日は、日中最高気温が突然36度にまではね上がる、地獄の突発的真夏日になった。外も内も、まさにサウナ、いや湯船に浸かっているような錯覚に陥るほどの熱気。私は扇風機の風が確実に無駄に感じられる夜をしらじらと過ごし、日中は地下鉄に逃げ込んでいたのだが、急用で一端アパートに戻らねばならず、汗をだらだらたらしながら仕事をしていた。そこに彼女からのテクスト。

今からコニーアイランドに行く!来なよ!

急すぎる誘いに、強引なところのある彼女らしさを感じた。もちろん彼女は私をあてになどしていないだろうし、こちらでも断ることもできたのだが、一度約束した手前果たさねば悪いと思ってしまうのが私のよくない癖である。コニーアイランドはマンハッタンから電車で40分ほどのところにある海水浴場で、遊園地や水族館も併設されている夏の手軽なレジャー場所だ。私は実のところ、冬のコニーアイランドにしか行ったことがない。NYの夏の海水浴場がどんな様子なのか全く分からない。しかも、ビキニもない。というか、水着もない。そして既に夕方の4時をまわったところだ。夜の8時まで明るいにしても、やることもあるにはあるし、どうしようか。。。考えた末、乗り気ではないが、約束を果たすためだけにでも、とりあえず行くことにした。こう暑くては仕事にならないと言い訳しながら。

それから電車を延々のりついで一時間強。コニーアイランド、遠い。。。こんなに遠くまで、特に目的もなく、ただ電車に揺られている。なんだかとても馬鹿馬鹿しいことをしている気分になってきた。大体もう店じまいの時間ではないか。情けない気持ちを押して、ようやく電車を抜け出して私の目に入ってきたものは、人、人、人の波であった。既に時刻は6時ちかい。しかし、駅から海岸までの道は、若者たちのカラフルな水着で溢れかえっている。

海は、一面の人だった。海の水と人の体と、どちらが多く目についたか分からない。しかし砂浜に寝そべり、あるいは海の水に浸かる人々は、みな弾けんばかりのキラキラした笑顔で、太陽の光に輝く波のように、のびのびと健康的な幸福感に満ちた様子が印象的だった。友達は私を見つけるとすぐにサマードレスを私に託して水着姿になり海に入っていったが、水面に浮かぶ多くの肌が褐色で、いかにも海に対し自然な色であったのに対し、韓国人の友達の白い肌は、まるで温泉につかっているように場違いに見えた。彼女は私のワンピースの裾をまくりあげて結ぶと、波の浅いところに私を引っぱっていった。私はとまどい、海水の冷たさに驚いて引き返そうとしたのだが、彼女はすぐ慣れるから、と言って私の手を離さない。思い切って服を濡らす覚悟をすると、波は容赦なくがぶりとやってきて、飲み込まんばかりに私の膝に食いついてきた。私はニースの海を思い出して、その全く違う両者の水と海岸の性質をくらべながら、大きな波の満ち引きが体の重みで足の下の砂をずぶずぶと沈めていく様を面白く思い、その音を聞きながらじっと見入っていた。友達はそんな私を笑いながら、色様々な海水浴客に混じって遠くの方まで泳いでいった。

しばらく海で遊んだあとで、我々は海岸に沿って伸びている木の歩道を横切り、ずらりと並んだ海の家のような屋台のひとつで「RAW CRAMS」を食べた。どこで採れたものかも不明だが、6つで7ドル50セントを割り勘にし、レモン汁とカクテルソースをたっぷりつけて。こんなあさりがあるかと思うほど大きいのだが、ちゃんと潮の味がする、海のものだった。私と友達はあっという間に平らげてしまった。

おいしかったね、と言いながら潮風に吹かれて、だんだんに弱くなっていく日の光を見ていると、さっきまで暑い暑いと部屋の中やマンハッタンで汗をかいていたのが遠い夢だったような気がして、奇妙な気分になった。あれからまだ2時間も経っていないのに、この状態の違いは何ということだろう。暑いなんてどうして思っていたのだろうという気さえする。友達は化粧をまったくつけていないすっきりした顔をして、海を見つめて静かにほほえんでいた。彼女は最近長年一緒に暮らしてきた恋人と別れたばかりだが、この日はその話はかけらも出なかった。海、という圧倒的な力の前では、その必要はないのだろうという気がした。こんなふうに、私の知らない世界がどれだけあることだろう。私が自分の習慣の中にこもって、外を見ようとしていないために見のがすたくさんのものたち。。。私は損得を考えず思い切ってアパートを出てきてよかったと思った。そして、私のスカートの裾を結んで波の中に引き入れてくれた友達に、改めて感謝したのだった。


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Monday, June 25, 2012

神聖な場所





















友達とふたり、新しくスタジオを借りることになった。

これまでは別の友達のスタジオに格安でお邪魔させてもらっていたのだが、諸事情によりそこを出ることになった。私のアパートは狭いので、とても制作は出来ない。その上、私は簡単に邪念に負ける人間なので、家のように誘惑の多い場所は危険なのだ。制作に関係ないことまで中途半端にあれこれやってしまう。

そういうわけで、急遽一人でスタジオを借りることにし、物件を見て回っていた。しかし一人用のスペースは、狭いし高い。悩んでいるとき、久しぶりに会った友達Pもたまたま制作場を探しているところだという。それならばと二人用を見ていたら、その物件に当たった。Pはそのとき来られなかったので、まずは私ひとりが先行した。そこはそれまで見てきたようなアーティスト専用のビルではなく、一階建ての不思議な小屋のようなものだったが、見た瞬間にここだ、と思った。値段の手頃さもさることながら、その奇妙な長方形のスペースは、なにか重要な秘密を隠している洞窟のような印象で私に迫ってきた。

制作をする上で、その空間自体が作品に働きかける力は、作る側の意識の有無に関わらず大きいと私は思う。制作をすることは、ある意味では息をすることと同じくらいに無意識の領域の行為だ。だから制作場との相性が大事になってくる。それはまるで鏡のように反射して作品の上に影や光を投げかけたり、時には作品の方向性を決めたりもする。このスペースの「洞窟」という第一印象は、神秘的なイメージに惹かれる自分の作品の性格にあっているという気がした。

また、そこがアーティスト専用のビルでないということもユニークで良かった。スタジオ用のビルというものは、大抵はギャラリーのように非常にニュートラルで奇麗な部屋が何十と集まっており、数えきれないほどのアーティストが行き来する建物である。それはギャラリーに作品を展示したいと願うアーティストなら当然必要とする環境であるだろうが、オープンスタジオなどでそういうビルに行って同じ作りの部屋を廻っていると、コンビニに菓子のパッケージが整然と並んでいるのを眺めているような気分がしてしまうのも確かなのだ。そこに集まっている作品群まで、不思議と似通っていたりする。しかしこの駅から少し離れた一戸建てのスペースは、少なくとも気分の上では、パッケージの一部になることを強制しないだろう。

幸いなことにPもこの物件を気に入ったので、早速借りようと動き出したのだが、実際に借りるまでが大変だった。クレジットヒストリーや口座の残高証明、働いていることの証明など、まるでアパートを借りる時のように手がかかった。さらに六ヶ月の契約書にサインまでさせられた。もちろん、大家と交渉をし、納得がいくまで質問をした後だ。アメリカ人であるPのおかげで乗り切れたが、大家やブローカーとのやり取り等で二週間近くかかり、結構なストレスだった。

何はともあれ、このように大変な思いをして手に入れたスタジオは、なにやら神聖な感じすらする。これから多くの時間を過ごすことになる洞窟のような空間で、自分と作品がどのように変わっていくのか、とても楽しみなのである。


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Monday, June 18, 2012

父の日でした♡
























日曜は、父の日でした。パパ、いつも有り難う。私とぽんからバラの花を贈りま〜す。

父の日って、贈り物むずかしい。絵なのに悩んでしまった。。。


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Sunday, June 17, 2012

NYでお粥をたべる





















今日は朝からストレスのかかることが続いた。がっくりして、うじうじ考えていると、いつの間にか夜になっていた。

お粥が食べたいな、と思った。先月にインフルエンザで寝込んだ時、自分で作ったお粥がとてもおいしくて、それ以来疲れたときはたまに作るのだ。

米を一合分と水をなみなみ鍋に入れて、強火にかける。沸騰したら弱火にして、蓋をする。ステンレスの鍋は、コトコト、という音を立てない。カチャカチャという金属的な音。それでも私はお粥を炊いていると思うと、ほっとした気持ちになる。

食べて、寝る。そういう基本的なことが、一番大切なことだ。一人で暮らすようになって学んだこと。

出来上がったお粥に、ごま油をたらし、塩をふる。以前何気なく試したのだが、それ以来はまっている。お茶碗に二杯、たっぷり食べた。お粥は体だけでなく、心に沁みていく気がした。


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Sunday, June 10, 2012

パリで一番おいしかったもの。(ヨーロッパ編最終回)























余りにも昔の話になってしまったので、今回でヨーロッパ編はひとまず終了します♪長らくお付き合い有り難う御座いました♪



最後のお題は、「パリで一番おいしかったもの。」

それは、、、、ズバリ、クロワッサンベタですけど、本当なんです。。。

実は私には、「パリに行ったらまずカフェでクロワッサンとカフェオレ(で感動)という長年の憧れがあり、今回の旅でついに念願かなう予定だった。パリに降り立った次の瞬間にもその時は来るはずだった。しかし、、、実際にパリに着くと、そこらへんの売店からカフェまで余りにも至るところにクロワッサンが溢れていた。私は一瞬立ち止まって考え、「最高のクロワッサンを出すカフェで」憧れの瞬間を達成することにした。

刻々と日が経つうちに、ある疑問が私の頭をもたげた。「クロワッサンがおいしいのはカフェではなくてパン屋ではないか?」という基本的かつ致命的な問いであった。そして「このままでは夢だった『カフェでクロワッサンとカフェオレ』ができないではないか!」と愕然としているうちに時が過ぎ、何と帰国3日前になってもまだ『カフェでクロワッサンとカフェオレ』、いやそれよりも、「パリでクロワッサン」すら、まだ達成していないことに気がついた。さすがに自分でもアホを通り越した気がした。。。

そんなわけで、「パリのカフェで最高のクロワッサンを食べる」は諦め、「とにかくパリでクロワッサンを食べる」に変更。宿の近くの、しかし割といつも人が並んでいるがとっても普通っぽいパン屋でとっても普通っぽいクロワッサンを何の気なしに買ってみることにした。日本の家族にパリ土産を送るため、郵便局に急ぐ朝の道すがらという、ついで感満点のシチュエーション。何しろ帰国3日前、やることがたくさんあったのだ。

朝の8時、パン屋はまだ客もまばら。レジの後ろでは、パン職人が忙しそうだ。クロワッサンをひとつだけ買った。1ユーロ。安い!NYでは3ドルはするよ。荷物を片手に歩きながら、念願だがごくごく普通っぽいクロワッサンを何気なく頬張ってみた。すると。。。











うっ。。。。。!

う、う、うまいいいいい!!!!!


噛む度にさっくりと香ばしく、口の中に広がるバターと粉の香り!(受け売りではありません)これは確かに、今まで食べたどのクロワッサンとも違う!!私は愕然とした。。。こんなにうまいものを何で最初に食べなかったのか。。。もしも初日に食べていたら、私はそれ以降は毎朝クロワッサンを食べていただろう。大・後・悔。。。

高揚感に身を浸していたその時だった。「ガリッ!」という不穏な音が。続く奇怪なジャリジャリジャリ。。。な、なんだこれは!?
記念すべき初のクロワッサンで幸福の絶頂にいるまさにその時に、なぜか奥歯が欠けたのだった。。。涙

何はともあれ大変感動した私は、残りの3日間の朝と昼をほぼクロワッサンで過ごし、最後の日は空港に行く前(朝6時半)にも同じパン屋に寄って、クロワッサン3つとチョコクロワッサン2つを買いだめしたのでした。
次にパリに行く時は、クロワッサンツアーと決めています。

みなさん、パリに行ったらまず!クロワッサンを!!


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