Monday, November 14, 2016

しめじとニラのバター炒めから考えたこと

先日、友人Fと日本のスーパーDaidoに寄った。

Fが今晩は生姜焼きにすると言うやいなや、漠然と別のメニューを考えていた私の頭の中にただちに生姜焼きが侵入して来て、俄然良い匂いを漂わせ始めた。漠然としたメニューが何だったのか、もはや思い出せない。私はため息をつきながら買い物かごに生姜と豚ロース肉を入れた。

そのとき、野菜コーナーでしめじとニラがこちらを見た気がした。私の冷蔵庫は放っておくとそのうちキャベツで占領されるが、帰って来て忙しかったこともあり、まだ冷蔵庫は空に近い。目の奥でうなずき返し、しめじとニラもかごに入れた。

生姜焼きは、まあまあの出来だった。

衝撃を受けたのは、肉を焼く前に同じフライパンで何となしに作ったしめじとニラのバター炒めである。フライパンにバターを溶かし、適当に切ったニラとしめじを炒め、塩をパラリとふる。たったそれだけなのに、メインの生姜焼きがかすむほど美味だった。しめじの味とニラの臭みがバターの風味を介して完全に美しく調和している。バターとニラがこんなにも合うとは。しめじの気前の良い布団のような食感と風味が、またそれをうまいこと橋渡ししている。
世紀の大発見をした気になり、とてつもないしあわせを覚えた。

あまりの感動に耐えきれず、次の日はそれだけを作ってみた。今度はこちらをメインにすべく、倍の量で作ってみた。ところが不思議なことに、前日ほどうまくいかなかった。理由はおそらく、バターの量が足りなかったこと、つまり、ニラとしめじが多すぎたこと、そしてこれをメインにしたことが原因ではないかと推測した。前日は、多すぎず少なすぎず、ちょうど良い量だったのだ。そしてこの小さな炒め物は、やはりメインの隣りにあってこそ、その真価を発揮する一品であるのかもしれない。

すべてはバランスだ。色々なものが同時に存在して、お互いに引き立てあうのが健全な世の中なんだなあと、空になりつつある皿を見ながら考えた。

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