Sunday, November 1, 2015

なんとなくハロウィンパレード2015

















昨日はハロウィンだった。特に予定はなかったのだけれど、夕方Public Libraryに用事があったので、マンハッタンに出た。

予想していた通り、サブウェイも街も混雑していた。目につく人口の三分の一ほどが、ガイコツやら何とも判定のできない動物やらである。空気は全体にどことなく浮き足立っている。図書館で用事を済ませて、Bryant parkに寄った。スケートリンクの上をきゃあきゃあ言いながらすべる人たちを眺めていたら、なんとなく久しぶりにパレードを、しかも一番混んでいるであろうグリニッジビレッジで見たい気持ちになった。
ハロウィンパレードはニューヨークに来た年に、一度見た。学校からほどちかい六番街のブロードウェイだったと思う。人ごみに押されながらほんのわずかしか見ることができず、辟易して、それきり行っていない。ここ数年間は、ハロウィン当日はマンハッタンには行かないようにしていた。
グリニッジビレッジは、パレードのメインとも言える場所である。殺人的に混んでいるだろうが、まあいいか。心を決めてサブウェイに乗りこみ、仮装した群衆とともに、W4thストリート駅で降りた。

パレード開始一時間前のグリニッジビレッジは、予想に違わず人で溢れかえり、休日の表参道のような趣きであった。ストリートの両サイドにはパイプ製のガードがずらりと並び、ポリスも待機していて、後はパレードが通るのを待つばかりである。歩道には、これでもかといわんばかりの派手な衣装が乱れあい、夕暮れの中で、人々の顔は太陽に照らされたように輝いている。寒くなると着るものが黒一色になるニューヨーカーだが、この日ばかりは例外である。メイクもこれ以上ないほどに特殊に、かつおどろおどろく仕上げてある。とくに血の描写などはどれも真に迫っていて、強い情熱が感じられる。こういうのを見ると、人はやはり血が好きなのではないかと思わずにはおれない。とにかく出来る限りの努力をもって、自分はこの日の一部であるという姿勢を体で示すのが重要なのである。そうすることによりハロウィンという行事と連係プレーをしている感覚が生まれ、この場に存在する意義と誇りを一丸となって共有することができる。


ハロウィンの典型的なピザ屋の風景

私はもちろん、行事に参加する気は元からない。思いつきで来たため、いたってふつうの格好をしている。ふつうの格好をしているのに場違いな気分になり、誰も見ていないのにも関わらずいかにも人を待っているような顔をして、携帯を見たり通りをうろうろした挙げ句、ついには手持ち無沙汰になって、目についたジェラート屋GROMで6.5ドルの小さなアフォガード(バニラジェラートのホットチョコレートがけ)を注文する羽目になってしまった。都市のイベントにフリーの文字はない。幸いあまり寒くなかったので、外のテーブルにひとつだけ残っていたイスに座り、甘すぎるホットチョコレートの中にするりと姿を消して行くジェラートを必死で救出しながら、ふつうでない格好をした人たちが目の前を押し合いへし合い行く様を眺めていた。

浮かれた祭りの空気のなかでも、彼らはやはりどこかへ向かっている。あんなに一生懸命に背中を押し合って、一体どこへ行くんだろう。私たちはああやって、いつでもどこかへ向かっている。目的地がどこか、知ってる人はいるんだろうか。

そんなことをぼんやり考えていたら、掬っていたホットチョコレートが急に終わってしまった。カップの底の白い線がだんだん増えて来る。仕方がないので携帯で、特別に異様な人たちのスナップ写真を何枚か撮る。それも済んでしまって、さて何をしようかと腕組みをしたところ、人がちらほらとガードの傍に固まり出すのが見えた。時刻は7時をとうにまわっている。パレードはカナルストリートから出発するのだから、この辺りを通るのも、もうすぐだろう。私はカップとスプーンをゴミ箱に捨て、空いているガードの柵を見つけて、身を乗り出した。夜にとけ込む煉瓦づくりの家々。道の向こうにまで続いているであろうパレードの道。心待ちに待っているというよりは、成り行きでただそこにいるかのように見える無数の人びと。その周りに散らばる警官の黒っぽい制服の背中には、NYPDの文字が黄色く光っている。

しばらくすると、隣りの黒人のおばちゃんが、「ほら、来たよ!」と叫んだ。遠くに米粒くらいの大きさの騎馬隊が、横並びになってゆっくりと道を進んでくるのが見える。そのほとんど厳粛と言って良い馬の足運びのリズムは、軍隊の歴史の、特になぜか英国のイメージを喚起した。騎馬隊が行ってしまうと、その後から十何メートルもある巨大なガイコツとパンプキンの一団がやってきた。むかしパレードでこのガイコツの群れを見たときはただ面白いとしか思わなかったが、今ふたたび目にすると、メキシコの死者の祭りのイメージが湧いてくる。そう思って見ると、たしかにメキシコの帽子をかぶっているガイコツもある。ここでハロウィンとは一体なんであったかという疑問が湧く。異なる文化であってもとりあえず一緒くたにして、かといってそれらが溶け合うでもなく、それぞれが堂々と生きているのは、さすがニューヨークと言うべきなのかもしれない。

行き過ぎるガイコツたち

ガイコツの群れは、パレードの中でも毎年恒例のハイライトであり、何度見ても良い。群衆は大盛り上がりである。ガイコツも心得ていて、ルートからはみ出て、ひとびとの頭の上をぐわーんぐわーんと飛び回る。その度に悲鳴や歓声が上がる。ガイコツが行ってしまってからは、ディズニーランドから出張してきたみたいなランプを体中に光らせた青いダンサーが、楽隊の奏でるポップソングをバックに、踊りながらその後を追うのが遠目からちらりと見えた。人々は音楽に体のリズムを預けながら、華やかなはずのパレードをなんとか一目見ようと背伸びをしたり、携帯電話を高く持って写真を撮ろうとしている。柵の一番前にいなければ、何一つとして見えないのである。

私は柵からいつの間にか離れて人ごみの中に入ったので、もちろん人びとの後ろ姿しか目に入らない。少しでもパレードを見ようとトウシューズを履いているつもりになって頑張っていたが、無駄な努力であることを悟り、流れに任せて駅に向かうことにした。しかし、もみくちゃにされながら進むので、進んでいるようでぜんぜん進まない。結局1.5ブロック先の駅に着くのに、30分以上かかってしまった。

人の波を抜けだし改札を通り、駅のプラットフォームに着いてから、ほっと一息ついた。すると近くに立っていた、やはり混雑を抜けてきた男の人が、連れの女性に向かって一言、「I'm so tired.」と心の底から疲れたような声で言った。私は彼に密かに同意し、心の中でにやりとした。これぞ祭りだと思った。


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