Friday, September 24, 2010

次の日の十五夜















9月22日は、十五夜だった。

昔は、おばあちゃんが大好きな月見だんごと餡子のお皿をひとつ、近所の和菓子屋さんで買って来て、夜ご飯のあとに、みんなでお茶と一緒に食べるのが十五夜の慣わしだった。
特にどうということもない普通のまるい団子なのだが、ぽっかり空に浮かんだお月さまにしばらく奉げると、それはもうお月さまの恩恵を受けた特別な「お月見の団子」となり、この日はこれ以上のご馳走はないという気になった。私はこの日のために、どこからか立派なススキを見つけてきては団子の隣に飾り、月が出るのを待ちきれず、団子の周りをうろうろしたものである。

しかし祖母が亡くなり、私もNYに移ってからは、9月に日本に滞在すること自体がなく、ここ数年間は一度も食べる機会がなかった。久しぶりに十五夜に日本にいることになった今年こそはと意気込んでいたのだが、雑務をしていて買出しに行けず、夜は曇りで月も見えず、何とも気の抜けた十五夜となってしまったのだった。

ところが、次の日のこと。うちと長年親交の深いMさんが、何とお団子を届けに来てくれたのだ。「ゆうべ、家に帰る途中で、雲の隙間からぽっかりお月さまが垣間見えて。ゆりこちゃん好きだったなあと思ってね。」と、わざわざ買いに行ってくれたらしい。何と有り難いことだろうか。

包みを開けてみると、おばあちゃんと食べた月見団子ではなく、みたらし団子とかりんとう饅頭であった。しかし同じ店で作られた団子は懐かしく、柔かく、かりんとう饅頭共々、とてもおいしかった。そういえば、みたらし団子も何年も食べていない。NYでは、パックに入ったみたらし団子はあるけれども、こういう作ったばかりの団子を売っている和菓子屋はもちろんないからである。

やっぱり日本の食べ物は、おいしい。甘いものも、おいしい。もちろんアメリカのケーキも、ドーナツも好きだ。しかし和菓子は、何というか、体に合っているおいしさである。日本人に生まれて良かったと思うのは、このように味や感覚を、体が喜ぶ瞬間である。頭ではなく体が知っている快感だ。

お月さまと祝えずに終わった久しぶりの十五夜だったが、Mさんの気持ちとお団子が昔の思い出を運んできてくれた。Mさん、本当にありがとう。ところで、このかりんとう饅頭というものは、初めて食べたが、なかなかおいしいものだった。内側は饅頭なのだが、たしかに外側はかりんとうである。最近流行ったものらしいが、うーん、面白い。おばあちゃんも羨ましがっているのではないかと思う。いや、でもおばあちゃんのことだから、向こうでとっくに入手して、味見してるかもなあ。

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