Sunday, October 6, 2024

結局ニューヨークに舞い戻ってきたという結末。(というか、始まり?)

とぉ〜ってもお久しぶりすぎる更新に自分でもクッビリ!

コロナ以降、そりゃ〜いろんな事がありまして、なんとなんと、NYに戻ってきてしまいました!

一時は日本で仕事をして普通に暮らすのも良いかなあと思ったのですがね。
やはりNYの水を飲みすぎてしまったのかもしれません。。。

このブログが疎かになっていた理由は、何を書きたいのか分からなくなったからです。
お休み期間中は、全然アート制作していませんでした。「もはやニューヨークにもいないし、アートも全然やってないし、人類はなぜに物を書くのじゃ??」という心理状態。

でも、心のどこかでこのブログとりーぬが、ぽわぽわ浮いておりました。ぽわ〜んと浮かんでは、時々こっちをチラッと見る。うう、視線が痛い。。。
しかし、たとえ少しでも「書きたいな」という気持ちがないと、頑張って書いても面白くないという事はこれまでの経験から分かっていたので、書きたい!と思うまでは書かないことにしたのです。

で。今。

別に書くつもりもなかったのだけれど、何となく編集ページを開いた。で、なんとな〜く書き始めたら、思いも寄らず、すらすら言葉が出てくるではないか。

そうそう、この感じ。これを今まで待ってたの。

というわけで、また再びりーぬが戻ってきたわけです。だいぶ充電できたのかな。

もしもこのブログを楽しみにしてくれている人がいたら、

ありがとう、りーぬは元気です!

と伝えたいです🎵

書かない年月を経て、自分も少し変わったかもしれない。言葉における自分の新しい一面が見られるかも、なんてちょっぴり期待してたりもします。

これからもぼちぼち更新、していきます。

りーぬ

Friday, April 5, 2024

久しぶりすぎる投稿。中平卓馬展。

久しぶりすぎる投稿です。りーぬ、生きてます。

パンデミックが明けてからも、色んなことがあった。色んなことがあり過ぎて、何を書いたら自分が満足するのか、そもそも何かを書きたいのかさえ分からなくなったので、しばらく書くのを止めていた。

でも、なんとなく、また書きたくなったので、こうして今、文章を綴ってみる。

何となくでいいのかも。小さくてもいいのかも。

大きいものにはうんざりなんだよ。

(↑ちょっと言ってみたかった。笑)


昨日、東京国立近代美術館で開催中の、中平卓馬の『火ー氾濫』展に行ってきた。一人の写真家の人生を、その人の作品を通して時系列で辿る展示だった。60年代末から始まる世相を切り取ったような写真群は、テーマを変えながら氏の没する2015年まで続く。60年代って、私は生まれていないけれども、中平卓馬の作品が掲載されていた当時の雑誌そのものも展示されていたので、当時の記事も読めて、まるでタイムトリップしているような気分になった。

初期の写真からは、高度経済成長を迎え激変していく日本の社会や大きな力への不信感を特に強く感じた。それは、中平個人の抱いたものというよりは、当時国が急速に豊かになっていく状況の中で国民が感じていた全体的な不安感を炙り出しているように思えた。みんなが怖くて見ないようにしているものを、あえて映し取ろうとする行為だったのではないだろうか。

世の中のものには、プラスの面とマイナスの面が同時に存在する。自分が「良い」と思うものも、裏から見ると「悪い」ものに見えたり(実際そういう面があったり)する。石ころをお日様の元に置けば、必ず影が出来るように。

だから、人はプラスに見える物もマイナスに見える物も、どちらも受け入れなくてはならない。少なくとも、目を逸らしてはいけない。それは最後に、必ず自分に返ってくるのだから。
中平卓馬の写真からは、現実に存在している正の部分も負の部分も(どちらが正か負か分からないままに)見つめようとする、責任感に似た覚悟を感じた。

ーそして突然、中原に襲いかかる、記憶障害という病気。それから亡くなるまで、中原は日常生活を撮影し続けるのだが、その何気ない写真が「すごい」と思わざるを得ない迫力なのだ。
病気前の中平の写真はどこか匿名性を帯びているように見える。撮っているのが誰かはどうでも良いような、誰もが「この光景は見たことがある」と既視感を覚えるようなイメージを喚起させる写真。しかし病気後に撮った写真からは、生きている中平自身の息吹のようなものを感じる。

私は展示会場を二度回った。
何かすごく、もやもやする。これは一体、何なんだろう。
このもやもやを、どうしても理解したかった。

普段あまり写真展に興味がないのだが、この展示を見て改めて、写真とは何だろうと考えた。写真とは、ジャーナリズムであり、批判精神であり、興味の視点であり、、、いや違う。
私の感じたもやもやを何とか言葉にしてみると、

写真は、撮られたイメージを通して、撮影者の思想を鏡のように体現する物質である。

そう、写真は、思想。そして、物質なのだ。展示されている写真を見て引っかかっていた事のひとつは、その作品自体の持つ物質感であった。デジカメで写真がデータで終わりがちな現代だけど、現像されてプリントされた物質であるという事が写真家にとっては(写真にとっては)特に重要なのではないか、と強く感じた。

昔はデジカメがなかったので、撮った本人がイメージを確認するためにはまず現像しなくてはならなかったのだが、錬金術のようなその過程に、また現像液のレシピや現像する紙といった材料にも、当然、写真家独自の好みやこだわりがあったはずである。対象を選びシャッターを押し、好みの色に現像して、選んだ紙にプリントするまでが写真家の仕事なのだとすれば、写真の本質とは、撮影者の指紋を持ったイメージが実体を伴ってこの世に現れる事なのではないだろうか。


つまり、あの展示されていた写真の一枚一枚には、中平卓馬のDNAが組み込まれていたのかもしれない、という事だ。だからこそあれほど私は感じる物が多かったのではないだろうか。。

ーーーと、そんなことを延々考えました。
一言で言うと、面白かったです!

中平卓馬展、今週末までです。興味があったら行ってみてください。
帰りにはお堀の桜も見られるしね🎵

中平卓馬展

久々のりーぬでした〜

Thursday, October 13, 2022

NYへ行ってきました

3年ぶりのNYに戸惑うりーぬ

実に!3年ぶり!!ニューヨークに行ってきました!!

ところが、入国ゲートを通って驚いたのは、「久々だから」ではなかった。なんと、感じたのは、「ぜんぜん久々でない」感。

私、昨日までここにいた??

と、疑いたくなるほどの日常と、空気に馴染んでいる自分の体がそこにあった。この3年間、わが身の半分は、ニューヨークにいたのではなかろうか?と本気で思ったほどだ。

アパートに戻って、街を歩いてみる。なんだこの普通感。いや、3年ぶりだっていうのに、絶対おかしいでしょ。

そんな元からそこにいた感じでカムバックを果たしたりーぬでした。やはり、15年住んだ街は懐がでかい。しばらくいなかった私を暖かく包み込んでくれたのだ(と思う)。

ちなみに、2022年6月、街は室内や車内以外はほとんどマスクなし(してる人もいた)。街も活気があり、コロナ以前とほとんど変わらないように見えた。

で、ひと月ほどしてまた日本へ。その後色々あり、今後のことを考え中。

考え中、多いな。。。(遠い目)

↓多いな。。
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Friday, March 25, 2022

バラの芽かきに失敗したかも〜

Noと言いたいらしい。


バラの芽かき、失敗した〜〜〜 かも〜 かも〜

芽かきをしましょうって栽培書に書いてあるからって。。。

よく考えず、せっせと脇芽を取って、ご満悦♪

→ 一週間後に、ありゃま!ミニバラの新芽が、蛾の幼虫にやられてる!

芽かき不要論の萌芽。


芽かきをした頃は、まだアブラムシも出ていなくて、すっかり忘れてたの。無農薬派のわがバラには、これからむっしむしがわんさとやって来るってことを。。

バラってそんなにたくさん、どうして脇芽を出すの?

と思っていたけど、そっか、脇芽はバラの虫に対する対抗策だったんだ!!ナットク!

虫だけじゃない、ハダニ、黒星病と、病気も多くなってくる。いくら葉が混みすぎると病害虫に狙われやすくなるとは言っても、被害を被った時のための予備の芽だったんだね〜〜〜!!!


しょぼん。。。


取っちゃったものは、仕方ない。幸いなことに、弱いミニバラと黒星病になりやすい地植えのバラは、芽かきをしてない!

鉢バラは、雨が降ったらせっせと軒下に入れて、虫もハダニも寄せ付けないよう、日々チェック&ニームオイルで予防すっぺよ〜〜〜

お〜〜〜!!!


↓お〜〜〜!!
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Monday, March 21, 2022

素晴らしき日本の逸品②レベルの高い日本のパン


日本て、実はパンもすごいんだよね。

パンと言ってもいろいろあるけど、今回取り上げるのは、ふっつーのパン。スーパーとかのパン売り場で売ってるやつ。

種類がすごい。パッケージすごい。カビが生えてなくてすごい。柔らかくてすごい。基本美味しくてすごい。

アメリカ、どんだけ雑!?という気もするが。。。


アメリカ以外の国では、スーパーのパン売り場を観察しなかったから比較できないけど、それでも日本は間違いなくすごい。個包装パンのバラエティと生地の柔らかさが特に素晴らしい。他の国、例えばフランスは、ローカルなパン屋のクオリティが高すぎる。

どちらが優れているとかではないが、とりあえずアメリカは正直、食べ物の美味しさにそこまでこだわらない国だと思う。

しかしその大雑把さこそが実は味であり、何者にも代えがたいアメリカの良さだったりする。

ああ、やはり難しい国ごとの比較。

だがまあ、日本のそこらへんに売ってる適当そうなパン、実はとてもレベルが高いんですよ。あの値段であの味、あの食感。他の国では絶対に見つけられません。

↓実は、、、すごいんです!
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Wednesday, March 16, 2022

バラの芽がにょきにょきにょき


3月に入った途端に、バラの芽が!!
にょきにょき〜と大きくなり、裸だった枝があっという間に新しい緑の葉で覆われた。数日前までだんまりだったのに、この成長の速さ!

しかも、20鉢くらいあるバラの芽が、まるで示し合わせたように一斉に動き出した。

いや、ぜったい話し合ってるっしょキミら!

と、ツッコミを入れたくなるほど同時に芽を出すんだよね。すごすぎる。

そして、春一番が吹いた。今日は風が強いなとは思っていたけれど、道理で強かったはずだ。

近所の梅はもう満開。いや、急な暑い日が数日続いたから、もう盛りを過ぎて散り出している。

春は始まれば、何もかもが速い。気づくと桜の季節だろう。

置いて行かれないようにしないとなあ。

とりあえず、今年のトマトの種を卵パックに蒔いてみた。
種は、まだシンとしている。

↓日差しがもう夏みたい!
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Tuesday, March 1, 2022

春は来る


「春は近い。」
大寒を過ぎると、はっきりと分かる。驚きにも似た喜び。

まず、日差しの質が変わる。熱の少ない冬の日差しとは異なる、ぬくもりのある日差し。

雑草が姿を現しているのが、ふっと目に入る。ヒメオドリコソウの赤紫の花、そしてオオイヌノフグリが青空のかけらか静かな星のように、地面にひっそりと散らばって咲いているのに、その時初めて気がつく。昨日も通った道だと言うのに、いつからそこにじっとしていたのだろう。
自然とは、おそらく時計よりも正確なものなのだ。
何か神聖なものをうっかり見てしまった時のように、心がすうっと透き通るのを感じる。

そして2月も中旬になると、鳥の数と種類が格段に増える。シジュウカラやスズメ、ムクドリのさえずりで、庭が再び賑やかになってくる。

アブラムシがネギの葉の陰で固まっているのを見る。

蜂が花の周りを飛んでいるのに出くわすようになる。

春雷がきこえる。

春一番が吹く。

春が来る。


春は来る。人間の世界でたとえ何があったとしても、きっと、やっぱり、春は来る。

そしてそれこそが、人間に残された唯一の希望なのかもしれない。

そんなふうに考えてしまう、2022年の春です。

↓世界が平和でありますように。。
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