まず美大時代からの古い友人が、今月半ばに日本に帰国。急にルームメイトもうちを出ることになり、さらに最年長の友人も、数ヶ月の間ニューヨークを離れる。
周りの特に親しい人たちが、今月一斉にいなくなる。
ただの季節の変わり目かもしれない、ただの偶然の一致かも知れない。しかし、まるで何かを象徴しているように、強い風が大きく吹いているように感じるのはなぜだろう。
それぞれの人が、人生をどうやって生きて行こうか、必死で模索している。河が流れるように、全ての人が、全てのことが、日々変わっていっている。
普段の変化は、目に見えないほど小さなものかもしれない。しかし、一年前と同じに見える庭の風景も、その中のひとつひとつの植物が実は生き死にを繰り返し常に入れ替わっているように、人も、外側は同じであるように見えても、見るもの、聞くもの、読むもの、食べるものなどによって、その人はじつに刻々と変化している。それらの小さな変化が、何かのきっかけで、河が決壊するみたいに、いつかはっきりと目に見えるかたちで現れる。それが人間関係の変化であったり、転職であったり、転居であったりするのだろう。
ここで大切なのは、誰かの変化は自分の変化でもあること、つまりひとりの変化は周りの変化を促し、それが更に大きな変化につながり…そうやって私たちはお互いに変容し合っているということではないだろうか。一見強固な一枚の板のように見えるこの現実世界だが、私たちは変わりゆくことで、共同でこの世界(宇宙)を一瞬一瞬あたらしく創造しているのだと、私は思う。
ただの季節の変わり目かもしれない、ただの偶然の一致かも知れない。しかし、まるで何かを象徴しているように、強い風が大きく吹いているように感じるのはなぜだろう。
それぞれの人が、人生をどうやって生きて行こうか、必死で模索している。河が流れるように、全ての人が、全てのことが、日々変わっていっている。
幼い頃からずっと、「変わってしまうこと」は、悲しいこと、悪いことだと思っていた。でも、そうじゃない、変わっていいんだ、変わっていくことこそが本質なんだ、と今は思う。変わらないものというのは、この宇宙にひとつもなくて(私たちが「時間」によって宇宙を認識しているからかもしれないが)、逆に言うと、変化するからこそ、私たちは自分を通して見るこの世界を新しく体験し続けることができる。
普段の変化は、目に見えないほど小さなものかもしれない。しかし、一年前と同じに見える庭の風景も、その中のひとつひとつの植物が実は生き死にを繰り返し常に入れ替わっているように、人も、外側は同じであるように見えても、見るもの、聞くもの、読むもの、食べるものなどによって、その人はじつに刻々と変化している。それらの小さな変化が、何かのきっかけで、河が決壊するみたいに、いつかはっきりと目に見えるかたちで現れる。それが人間関係の変化であったり、転職であったり、転居であったりするのだろう。
ここで大切なのは、誰かの変化は自分の変化でもあること、つまりひとりの変化は周りの変化を促し、それが更に大きな変化につながり…そうやって私たちはお互いに変容し合っているということではないだろうか。一見強固な一枚の板のように見えるこの現実世界だが、私たちは変わりゆくことで、共同でこの世界(宇宙)を一瞬一瞬あたらしく創造しているのだと、私は思う。
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