友達とふたり、新しくスタジオを借りることになった。
これまでは別の友達のスタジオに格安でお邪魔させてもらっていたのだが、諸事情によりそこを出ることになった。私のアパートは狭いので、とても制作は出来ない。その上、私は簡単に邪念に負ける人間なので、家のように誘惑の多い場所は危険なのだ。制作に関係ないことまで中途半端にあれこれやってしまう。
そういうわけで、急遽一人でスタジオを借りることにし、物件を見て回っていた。しかし一人用のスペースは、狭いし高い。悩んでいるとき、久しぶりに会った友達Pもたまたま制作場を探しているところだという。それならばと二人用を見ていたら、その物件に当たった。Pはそのとき来られなかったので、まずは私ひとりが先行した。そこはそれまで見てきたようなアーティスト専用のビルではなく、一階建ての不思議な小屋のようなものだったが、見た瞬間にここだ、と思った。値段の手頃さもさることながら、その奇妙な長方形のスペースは、なにか重要な秘密を隠している洞窟のような印象で私に迫ってきた。
制作をする上で、その空間自体が作品に働きかける力は、作る側の意識の有無に関わらず大きいと私は思う。制作をすることは、ある意味では息をすることと同じくらいに無意識の領域の行為だ。だから制作場との相性が大事になってくる。それはまるで鏡のように反射して作品の上に影や光を投げかけたり、時には作品の方向性を決めたりもする。このスペースの「洞窟」という第一印象は、神秘的なイメージに惹かれる自分の作品の性格にあっているという気がした。
また、そこがアーティスト専用のビルでないということもユニークで良かった。スタジオ用のビルというものは、大抵はギャラリーのように非常にニュートラルで奇麗な部屋が何十と集まっており、数えきれないほどのアーティストが行き来する建物である。それはギャラリーに作品を展示したいと願うアーティストなら当然必要とする環境であるだろうが、オープンスタジオなどでそういうビルに行って同じ作りの部屋を廻っていると、コンビニに菓子のパッケージが整然と並んでいるのを眺めているような気分がしてしまうのも確かなのだ。そこに集まっている作品群まで、不思議と似通っていたりする。しかしこの駅から少し離れた一戸建てのスペースは、少なくとも気分の上では、パッケージの一部になることを強制しないだろう。
幸いなことにPもこの物件を気に入ったので、早速借りようと動き出したのだが、実際に借りるまでが大変だった。クレジットヒストリーや口座の残高証明、働いていることの証明など、まるでアパートを借りる時のように手がかかった。さらに六ヶ月の契約書にサインまでさせられた。もちろん、大家と交渉をし、納得がいくまで質問をした後だ。アメリカ人であるPのおかげで乗り切れたが、大家やブローカーとのやり取り等で二週間近くかかり、結構なストレスだった。
何はともあれ、このように大変な思いをして手に入れたスタジオは、なにやら神聖な感じすらする。これから多くの時間を過ごすことになる洞窟のような空間で、自分と作品がどのように変わっていくのか、とても楽しみなのである。
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