Sunday, October 10, 2010

秋の味・秋のにおい

親戚の庭から、栗の山が届きました!もちろん夕食は栗ご飯。何年ぶりだろ~~~!!!

栗を堪能する夕食。

栗ご飯、出汁巻きたまご(カニ缶入り)、レタス、きのこのおつゆ。

これだけ?と思われるかもしれませんが、うちは刺身の時と同じく、栗ご飯の時は栗ご飯メインなのです。この日はとてもおいしく炊けたので、一人三杯という食いっぷり。お腹いっぱ~い!!栗にご飯だもんね。



日本は昔に比べて四季が曖昧になったとはよく言われるし、悲しいかな、そのことは私も肌で感じる。しかし、四季の味覚だけは未だ健在であると思う。例えば、梨とぶどう。これらはNYにもあるにはあるが、日本のもののように、甘い汁をしたたるほど含んだ瑞々しい梨や、一粒でたっぷりと幸せを感じられるような粒の大きいぶどうはには、お目にかかれない。梨は小さくざきざきねっとりした洋梨、ぶどうはとにかく小粒のものが主流だからだ。もちろん、それはそれでまた違ったおいしさがある。しかし、日本のもののように甘みが強く、果汁がほとばしり、これほどおいしいデザートは他になかろうと思わせるような秋の果物は、やはり特別だと思う。

今回の帰国では、約五年ぶりにこれらを堪能することができ、嬉しい限りであった。箱で頂いたおいしいぶどうを、「痛む前に」と食後にひとりひと房という贅沢さ。日本、最高!梨も、食べるたびに「豊水」「幸水」など、なんと見事な名前をつけたものかと思ってしまう。

もうひとつ、五年ぶりに楽しんでいるのは、空気をみたす金木犀の匂い。私は香料は苦手なのだが、本物の金木犀の花の匂いは大好きなのだ。窓を開けると漂ってくる金木犀のにおいに誘われて、幾度もふらふらと散歩に出かけた。しかし、思い出の中の秋と違う点もたくさん見つけてしまう。まず、ちっとも寒くない。トンボが数えるほどしかいない。叩けば響くような澄んだ空気も、胸の痛くなるような荒涼とした夕日も、冷やされた土や草、懐かしい焚き火の匂いも、どこにも見つけることができない。時代と環境の変化だから仕方がないと自分に言い聞かせるのだけれど、やはり悲しい。

緑が少なく四季のめちゃくちゃなNYに長く住み、私の自然に対する感覚の鋭さも、鈍くなっているのかもしれない。しかし胸が締め付けられるような、自然に対する畏怖と憧憬だけは、失いたくない。


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